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803号室

歴女への道

武田四天王高坂昌信は信玄公とラブラブ??農民から大出世したイケメン武将

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こんにちは★

武田信玄と、武田家が大好きなよよちち🐨です★

 

武田信玄は、いいとこのお坊ちゃんではなくても、重臣に取り立ててくれる人物でした。

元々の身分に関係なく評価するので、武田家の家臣は、浪人出身だったり、農民出身の人物がたくさんいて面白いのです✨

 

高坂昌信も、農民出身でした。

そこから大出世するんですねーーー✦

どうして、そんな大出世ができたのかも含めてお話したいと思います✨

 

ということで、今回は、武田信玄もゾッコンLOVEだった高坂昌信の生涯とエピソード のお話★

 

高坂昌信の生涯をサクッと

■生まれと本当の名前

武田信玄は、家柄とか、身分に関係なく雇うので、出生が明らかではない人物がとても多いんですよね。

高坂昌信もその一人で、詳しくは分かっていません。

正式名称は、「春日虎綱」というのが有力です。

苗字があることから、農民の中では、少し格上なお家だったのかもしれないですね。

父親は春日大隈。

春日家では、大隈の死後に、遺産相続問題で内紛が起こりました。

虎綱は、その争いに負けてしまい、家なき子になりそうになります。

そんな時、運命なのか?信玄に拾われて、小姓として働けることになりました。

ラッキーですよね🐨

そこから、武田家との人生が始まっていきます☆

 

■信玄のお気に入りになる

※ここからは、一般的に知られている「高坂昌信」で書いていきます※

昌信は、おそらく十代で、武田家に小姓として就職したと思われます。

その後はとんとん拍子で出世していくことになります。

25才くらいの時に、「足軽大将」となりました!

信玄のお気に入りだったのは間違いないと思われます。

後で詳しく書きますが、昌信と信玄は、ラブラブ関係にあったようです✨

うふふ。

 

しかし、良い事ばかりではありません。

異例の出世をした昌信の事を嫉む人物もたくさんいました。

(いつの時代も出る杭は打たれちゃう)

身分や家柄で差別を受けることもありました。

「昌信を取り立てたのは、信玄の見込み違いだ」と悪口を言われたりもしました。

しかし、昌信はこれに対して、一切怒らなかったのです。

信玄の面子をつぶさないように一生懸命働くのでした。

 

そして、どんどん信玄は、そういうのしっかり見る人だから、昌信の精神力の強さも評価しました、

昌信は、バカにされても耐え忍び、自分で自分の道を切り開いたのです!!

とても賢い武将ですね✨

 

どんどん出世していく昌信は、あの武田家最大のライバルとなった「上杉家」の抑えの城「海津城」を任されるまでになるのです!

 

■逃げ弾正になる

武田軍には、『弾正忠(だんじょうのじょう、だんじょうのちゅう)』という役職がありました。

 

この役職についていたのが、有名人だらけです★

『攻め弾正』真田幸隆

(真田昌幸のお父さん、つまり「真田丸」の幸村のおじいちゃん)

『槍弾正』保科正俊

(槍の名手です)

そして『逃げ弾正』高坂昌信

この3人を合わせて『三弾正(さんだんじょう)』と呼ばれています。

なんか「逃げ」と付くとちょっとマイナスなイメージになりがちですが、そんなことはありません。

超大事なポジションです★

冷静に戦況を見て的確な判断が求められて、時には殿(しんがり)を務める軍にとっては強くて頭が良くないとできないです。

特に武田家は、「負けない戦、損害を出さないような戦」を理想としていたので、このポジションを任された昌信は、信玄が、本当に信頼していた人物であるという証拠です。

昌信は、このポジションの働きが素晴らしかったのです。

高坂弾正とも呼ばれています。

 

武田家vs徳川家の戦いである「三方ヶ原の戦い」に参加します。

結果は、武田家の圧勝でした。

この時の武田四天王の戦いっぷりはすごかったのです★

(徳川家康が「武田家超こわーーい」とおもらししちゃうほど 笑)

 

信玄はこの戦の数か月後に病死してしまうので、昌信にとってはこの戦が、信玄と一緒に戦った最後の戦となりました。

昌信は、愛する信玄の死に目には会えませんでした。。。

 

■長篠の戦いの時の昌信は?

武田信玄が死去し、今度は、息子の勝頼に仕えることになります。

(武田家一筋なの🐨)

元々信玄についていた家臣達はそのまま勝頼に仕えます。

しかし、勝頼と古くからいる家臣はあんまりよい関係ではありませんでした。

 

そんな状態の中、あの「長篠の戦い 織田・徳川連合軍vs武田軍(総大将勝頼)が始まります。

昌信は、上杉家の抑えとして「海津城」を守っていたので、この戦には参加していませんでした。

 

結果は、武田家のぼろ負け。。。

この戦が、武田家滅亡へのトリガーとなるのです。

なぜかというと、戦国時代最強軍団の武田家四天王のうち3人が討死してしまうのです。

🐨もう大・大・大損害です。。。

不死身の鬼美濃『馬場信春

(生涯傷を負ったことがない男!!頭もキレて策略家でもある!)

武田の副将『内藤昌豊』

(戦上手で勝利に導く!マルチな才能を持つ!)

赤備えの猛将『山県昌景

(元祖赤備え!鬼のように強かった!信長も家康もビビってた)

この3人が死んでしまった。。。

長―――い間、武田家を一緒に支えてきた仲間たちが一気に死んでしまったのです。

そして、自分の息子も戦死してしまった。。。

昌信の心の中はどんな思いだったんだろう。。。🐨

悲しい

悔しい

信玄公も死に、仲間たちも死に、息子まで死んでしまい、自分だけ生き残ってしまった

いろいろな気持ちだったんじゃないかなと思います。。。🐨泣

頭の良い昌信は、これが、武田家の危機になることも予感していたかもしれないですね。

 

■武田家への愛(泣ける!)

ぼろ負けした勝頼と武田軍が帰ってきます。

昌信は、信濃に勝頼の出迎えに駆け付けるのです。

🐨もう昌信がどんな気持ちだったんだろう。。。と思うと涙が出ちゃう・・・

昌信は、新しい着物、武具、旗を用意していました。

ボロボロの勝頼の身なりを整えました。

甲府に戻る勝頼が惨めに見えてしまわないように、配慮したと言われています。

昌信自身も、信玄公の息子の惨めな姿を見たくなかったのかもしれません。

立派な武田家を見ていたかったんだと思うんですよね。。。

その後も、昌信は、武田家を立て直そうと、勝頼にいろいろ進言しますが、なかなか受け入れられませんでした。

(🐨勝頼ってそういう人なのよねーもう・・・はぁ。。。)

 

昌信は、いよいよ武田家滅亡を察知し始めます。。。

 

そして、昌信は「甲陽軍鑑」を書き始めるのです!

立派な武田家のことを後世に伝えたい!!

そんな気持ちが込められているような気がします。

この「甲陽軍鑑」は、自分が死んだあとを甥っ子に託し、江戸に入ったころに完成しました。

昌信の願いは、こうして現代の私たちに届いているんですね!!

 

■昌信の最期とその後

長篠の戦いの3年後、海津城にて病死しました。

52才でした。

 

最期の最期まで武田家に忠義を尽くして、武田家を愛した武将です。

 

その後、昌信が予感していた通り、武田家は、滅亡していくことになります。。。

武田家滅亡後、海津場には、織田家の家臣森長可が入ることになりました。。

森長可はなかなかの嫌われ者で、お引越し早々に領民から一揆をおこされ、追い出されそうになったりしました(笑)

🐨その後のお話はこちら↓を読んでみてください★森長可がすんごいぶっ飛んだ人物で笑えます🎶

戦国時代の狂犬!森長可の生き方が破天荒すぎて面白すぎる!

 

 

昌信と信玄公とはラブラブな関係

高坂昌信と言えば、信玄とのうふふ よねー✨

 

信玄は、高坂昌信と、ラブラブ関係にありながら、弥七郎という部下と浮気をしようとします。

(未遂で終わるのですがね🐨)

そのことが、昌信の耳に入ってしまいました。

あら大変!浮気がバレたーーー!!

焦った信玄は、必死に言い訳と、昌信への愛を綴ったお手紙を書きました。

 

信玄公の必死さが伝わるラブレター

内容はざっとこんな感じです。↓

  • 弥七郎に言い寄ったのは事実ですが、腹が痛いと言って拒絶されました。本当です・・
  • 弥七郎と夜を共にしたことはありません。以前からそんなことはしていません。昼間でもそんなことしていません。今夜だって、そんなことになるはずがありません。
  • あなたと結ばれたいと想っているのに、疑われて困り果てています。
  • 嘘ではありません。嘘であれば天罰を受けるでしょう。本来なら宝印に記すべきなのですが、役人の目とかもあるので、普通の紙に書きました。明日また、きちんとした形で書き直します。

信玄 必死――――(笑)!!

あのイカつい信玄↓↓のような名将が、こんなかわいらしい手紙を書いていたとは。。。ぷぷぷ(笑)かわいー🐨

ちなみに最後の方に出てくる「宝印」というのは、神様に誓ったりするときなど大事な時に使う紙の種類の事。

とにかく早く誤解を解きたい!!と思っていることが伝わりますよね(笑)

信玄もまさか、何百年もたった現代で、ラブレターが回し読みをされているなんてちょっとかわいそう(笑)

 

なんか、このエピソードが強烈すぎて、「高坂昌信と言えば信玄とのBL♥」みたいなイメージが強いですが、武田家を愛し、信玄公も愛して、農民から、「武田四天王」と呼ばれる重臣にまで登りつめた立派な武将であることを忘れてはいけません★

性格もイケメンなのです!!🐨

 

この時代のBLは、普通の事だったようで、有名なのをちょこっとだけ書いておくと、

織田信長💛森蘭丸カップル

(森蘭丸は、信長の小姓として仕えて、若くして大出世して城持ちになりました。超美男子だったらしい)

🐨蘭丸のお話もあるよー

歴史ミステリー!森蘭丸は本能寺の変を予測していた?かなり興味深い人物です!

 

徳川家康💛井伊直政カップル

(直政は、徳川四天王の中でもずば抜けて若くして重臣となりました。直政も男前!)

🐨直政のお話もあるよー

赤備え継承者「井伊の赤鬼」徳川四天王で体中が傷だらけ井伊直政の人生が面白い★

 

おわりに

高坂昌信は、農民から、「武田家四天王」と呼ばれる重臣にまで出世した。

そして、上杉謙信から、武田家を守る重要なお城の「海津城」の城主を任された。

 

イケメンで、男からも女からもモテモテだった。

信玄ともラブラブ関係だった♥

女性に追っかけられて逃げ回るほどだったらしい。

それもあって「逃げ弾正」と呼ばれている。

 

長篠の戦いで、同期の仲間や息子を亡くしてしまった

信玄の息子の勝頼が、ボロボロになって逃げ帰ってきた時は、暖かく迎えてあげた

「甲陽軍鑑」を書き始めた。

52才で、病により死去。

その後は、武田家も春日家(←自分の家)も滅亡してしまいました。。。

昌信は、両家の滅亡を知らずに死にました。

(🐨良かったのかもねー。)

 

なんか、武田家の事をいろいろ調べたり、読んだりしているとホント面白いんですよね🐨

信玄時代の家臣達ってホントかっこいいのよ!!

男気があって、忠誠心が強くて、頭も良くて、強くて、優しくて。。。

武田信玄時代に仕えていた家臣たちのお話🐨↓はこちらです✨読んでみて欲しいです。

謎に包まれた山本勘助の生涯★武田信玄に救われた遅咲きの武将の人生がすごい!

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