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歴女への道

ちょっと残念武将長宗我部盛親の生涯をサクッと★四国の大名に返り咲くことを夢見た戦国武将!

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こんにちは★

戦国時代好きなよよちち🐨です★

 

四国の大名と言えば「長宗我部氏」ですよね。

お父さんの元親はちょっと異常な執着心から盛親を跡継ぎにしたのですが。。。

お父さんの後を継いで、必死で土佐を守ろうとした息子「盛親」ですが、残念ながら失敗に終わる。。。

しかし、領地を復活させるために必死だった生き様を紹介します。

 

ということで、今回は

長宗我部家の元親と盛親の親子関係と、盛親のあんまり見せ場がなかった(笑)人生 のお話★

 

 

盛親のお父さん「長宗我部元親」のお話はこちら↓です✨先に読んでおくと分かりやすいかなー

お父様はご立派です🌟

四国統一まであと一歩!長宗我部元親の生涯☆最期はノイローゼになっちゃった

 

長宗我部盛親の生涯をサクッと

■生まれと家督を継ぐまで

父親は長宗我部元親。

盛親は四男として生まれました。

長男(信親)が、死んでしまい、父親は、無理くり四男の盛親に家督を継がせようとします。

普通は次男ですよね。

なぜ、四男の盛親なのか??

それは、「死んでしまった長男に容姿が似ているから」でした。

🐨ひょーーちょっと怖いよね。。。

 

元親は、長男「信親」のことを溺愛していました。

長男か死んだ後から、ちょっとおかしくなってしまったようです。。。

盛親のことを「短気で傲慢なところがある」と言って反対した家臣には切腹を命じる。

秀吉にも「次男を跡継ぎにするべきでしょ」と言われたのに、これも無視!!

🐨どうしても盛親を跡継ぎにしたいのね。。。

元親は、自分の意見をむりやり通して、「盛親」を正式な跡継ぎとしました。

 

■結婚相手にびっくりよ

お父さんの暴走は続きます。

今では犯罪になるのですが。。。

盛親の結婚相手は、なんと長男の娘!!

死んでしまった長男に対する執着心からなのか?ちょっと怖い感じがする。。。

 

■元親と盛親の2トップ

長宗我部家は元親と盛親2人で政治を行っていました。

豊臣家の家臣として、朝鮮出兵、北条征伐などにも参加しました。

大きな戦に参加していますが、他の武将たちが目立ちすぎてるのか、あんまり長宗我部のこれといったエピソードがないのよね。。。

 

🐨「朝鮮出兵」で激戦を繰り広げた武将たち↓華があるなー🌼

虎退治だけじゃない!加藤清正の意外な能力やエピソードなどをサクッと解説★

島津義弘の生き様がかっこよすぎる!島津四兄弟や得意な戦法も解説★

 

 

■豊臣家からの評価

元親の死後、盛親が当主となるわけですが、豊臣政権では正式に認めてもらえなかったのです。

(秀吉は、次男が継ぐべきだと主張したのに無視されたからなのか?)

盛親は、そのことがコンプレックスでもありました。

 

■関ケ原の戦い

秀吉の死後、豊臣家の中で、不穏な空気が流れ始めます。。。

豊臣家を守ろうとする石田三成と、豊臣家を乗っ取ろうとする徳川家康。

そんな両者の天下分け目の戦い「関ケ原の戦い」が勃発。

豊臣家(石田三成)VS徳川家康

長宗我部軍は、(いろいろな説がありますが、結果的に)「西軍」三成側につくことになりました。

「武功をあげて豊臣家の人たちに認めてもらうんだ!!」と意気込んで参戦!!

 

しかし、長宗我部軍は、前が詰まってて出陣できずに、何もせずに終わりました。。。

🐨関ケ原の戦いってあっという間に終わっちゃうのよねー

そして結果は西軍の負け。。。

盛親的には

「えーーーー!?なんか知らぬ間に負けた軍の将になってるしーーー!」って感じでしょうね。。

🐨なんか、ちょっとかわいそう。。

 

しかも、自分の家の中でもいざこざが起きて(これもいろいろな説がありますが)、家臣の嘘を見破れず、騙された盛親は、自分の兄を殺してしまうのです!

そのことを知った家康は

「自分のお兄ちゃん殺すなんて、信用できないし!盛親アウト―!」

そんなこんなで領地は没収――――💦

 

盛親ってなんか、運がないというか、空回り気味なところが否めないのよね。。。

 

🐨ちなみに、「関ケ原の戦い」で激戦を繰り広げた武将たちのお話はこちら↓

こういう人達に比べちゃうとやっぱりちょっとパッとしないのよね。。。(笑)

大谷刑部(大谷吉継)の人生が感動した話★歴女人気の石田三成との感動エピソードなど

赤備え継承者「井伊の赤鬼」徳川四天王で体中が傷だらけ井伊直政の人生が面白い★

 

 

■領地が無くなって寺子屋の先生になる

領地を没収されて収入が無くなってしまったので、寺子屋の先生になって収入を得て生きていました。。。

でも、「もう一度大名に返り咲きたい!」

うずうずする事14年ほど。。。

転機が・・・!!

 

■大阪の陣への招待☆

関ケ原の戦いで勝利した徳川家ですが、大阪の豊臣家の勢力はまだ残っていました。

邪魔に思った家康は豊臣家をつぶそうと戦の準備にかかります!

これが、戦国時代最後の戦となる「大阪の陣」です。

 

豊臣家は、兵の募集を始めます。

「関ケ原で負けて、家康に浪人にさせられたみな様、家康と戦うよ!豊臣家の味方してちょうだい☆褒美はいっぱい出しますよ☆」という招待状を全国の浪人達に送ります。

 

盛親は、「もう一度武士になりたい!!」と思っていたので、「これは大チャンス!!」

豊臣家は、この戦に勝てたら、土佐の国を盛親に与えてくれることを約束してくれました。

お父さんから譲り受けた領地を没収されてしまった盛親は

「絶対に取り戻す!!」と意気込んで大阪に向かいます!!

盛親のその決意を知った元家臣や、領民たちは、盛親の元に集まってきました!!

そして、大阪に着いた時には1000人も集まっていたのです!!

長宗我部盛親は、豊臣家からの招待を受けた浪人の中で1番多くの兵を連れてきたのでした★

 

■大阪の陣

集まった浪人たちの中で主要メンバーとなりました。

「冬の陣」では、あの真田幸村が作った「真田丸」で、徳川軍を追い払うことに成功します。

真田幸村の作戦が大成功したのです!!

盛親もここで、参戦してお手伝いしていました。

そして平和的解決をすることになりました。

 

が、やはり家康は攻めてきました。

それが「夏の陣」

この時は、真田丸も取り壊され、堀も埋められた状態で、籠城で戦うのは無理!ってことで、お城から出て戦うことになりました。

 

真田幸村は正面で家康に向かって攻め込みます!!

家康まであと一歩―――!!という所で、左右から攻め込まれ軍が崩壊していきます。。。

 

その時盛親は。。。

前日に戦ったので、兵もボロボロだし、大阪城で待機。

(大阪城の守備ってことで。えへ)

 

幸村が華々しく討ち死にし、、、豊臣家の重臣たちは自害。

総大将豊臣秀頼、母親の淀殿も自害。。

大阪城は炎に包まれて落城しました。。。

 

そんな時、盛親は。。。

大阪城を飛び出して逃げた!!

 

🐨なんか、やっぱりパッしない感じよね。。。(笑)

真田幸村のようなスターが出てきちゃったしね。。。

かっこよく最期を決めた真田幸村のお話↓

歴女に大人気真田幸村ってどんな人?超わかりやすく解説★イケメンはうそ??

 

■処刑される

大阪城から逃げ出した盛親は、徳川家の家来に見つかってしまい、処刑。

41才。

盛親の子供達も処刑されてしまったので、事実上長宗我部家は滅亡ということになってしまいました。。。

一時期は、四国ほぼ全土を治めた長宗我部家は、ここで終了となりました。。。

 

 

土佐を返して!盛親の執念

盛親は、土佐の国を取り戻そうと諦めず、最後のチャンスにかけたのですが、それはかなうことはありませんでした。

命懸けで臨んだ「大阪の陣」で負けてしまった。。。

 

盛親は、豊臣家の敗戦を知り、火事で燃えている大阪城から逃げ出します。

しかし、徳川家の家来に見つかって捕らえられてしまいます。

「そんなに命が惜しいのか!!」と言われた盛親は、

「命と右手があれば家康を殺すことができるのだ!」

そんな事を言ったそうです。

 

おわりに

盛親のお父さんの元親や、周りの武将たちが派手なので、ちょっと埋もれてしまう感じが否めませんが、信念を持っていた人物であることは間違いないと思います。

土佐を愛していました。

必死に取り戻そうとしました。

 

ちょっと、うまいこと行かないことが多かったけれど、必死に戦国時代を生きた武将の一人です!!

 

🐨歴女向けのお話もいろいろあるよー↓歴史スポット巡りもしています🎶

【武田信玄】戦国武将の考え方に惚れる!名言とエピソード★歴女になる!

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