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803号室

歴女への道

虎退治だけじゃない!加藤清正の意外な能力やエピソードなどをサクッと解説★

更新日:

こんにちは★

どんどん戦国時代が好きになっていくよよちち🐨です★

 

今回の武将「加藤清正」と聞くと、何を思い浮かべますか??

よよちちは「虎退治」と「めちゃくちゃ強い人」という体育会系の力持ちーみたいな感じでした。

それにしても、絶大な人気ですよね。

よよちち🐨はこの人が何でこんなに人気なの??と思っていました。

でも、知っていくと意外な能力を持っていたり、人間味あるエピソードがあってイメージが変わりました🌟

 

ということで、今回は、 加藤清正の生涯&エピソード のお話🌟

加藤清正の生涯をサクッと

■生まれ

加藤清正は、尾張(愛知県)で刀鍛冶を営んでいた加藤清忠と、鍛冶屋清兵衛の娘・伊都とのあいだに次男として生まれました。

母親が、秀吉の母親と従妹だった(※諸説あり)こともあって、豊臣家で小姓として働くことになりました。

 

■秀吉の家臣になる

清正は、幼いころからたくましい体でした。

そして、お寺で勉学も学んでいたので、知恵も体力もある子供でした。

秀吉には、子供がいなかったので、秀吉の正室ねね(北の政所)にはとてもかわいがられていました。

大人になった清正は、1581年の「鳥取城攻め」、1582年の「備中・冠山城攻め」、1582年の「山崎の戦い」など、様々な戦で功績を挙げました。

そして清正が有名になるのは「賤ケ岳の戦い」です。

この戦いでは、7人の槍の名手が「賤ケ岳の七本槍」と称されてスターとなりました。

その中の一人が清正でした。

マブダチの福島正則も、この7本槍のメンバーです★

清正は槍の名手として、どんどん武功を挙げていきます!

 

■朝鮮出兵

清正と言えば、朝鮮出兵でしょう!

秀吉は、2回、朝鮮に出兵を命じています。(文禄の役・慶長の役)

清正は、2回とも参加しています。

そこで清正はものすごい活躍をしました。

が、勢い余って頑張りすぎちゃったりもしたけど、少ない手勢で敵をたくさん討ち取りました。

清正の代表的な戦です。

 

■虎を退治した

とても有名な逸話ですが、一応触れておきます。

加藤清正と言えば、虎退治ですよね。

そう。

虎を退治したそうです。(笑)そのまま。

↑なんかこんな感じ

 

それは、朝鮮出兵の時でした。

清正の軍が、休憩している所に1匹の虎に襲われて兵1人、馬🐴1頭が殺されました。

清正はメラメラメラ!!怒

「ぶっ殺す!!」

次の日あの虎が現れました。

清正は「ぶっ殺す!!」と槍を手に持ちますが、周りの家臣たちは

「危ないから鉄砲で仕留めてください!!」と言いますが、

清正は「俺がこの手でぶっ殺す!!」と一人で槍を持って立ち向かっていき退治したそうです。

 

■石田三成大嫌い

豊臣家のことを思って一生懸命に真面目に働いて、秀吉を支えていたのが石田三成です。

三成は、戦場の現場で戦うというよりも、内政をしたり、戦の作戦を立てたりする頭脳派でした。

清正は、朝鮮出兵の時に張り切りすぎて命令を無視して、自分の判断でどんどん進軍していきました。

そのことを、三成は秀吉にチクって、清正は、秀吉に怒られちゃいました。

清正は「三成、チクりやがってーーー!!」と三成嫌いが決定的となるのでした。

 

二人とも、豊臣家への思いは同じなのに、その時の感情で、敵と味方になってしまうなんて。。。

 

■関ヶ原の戦いが始まる

石田三成(西軍)VS徳川家康(東軍)

なんで豊臣家に恩義があるのに、三成が嫌いなだけで家康に味方するの?とか思うけれど、その渦中にいないと分からない理由がいろいろあるのかもしれないですね。

清正の家臣たちは「光秀の味方につくべきだ」と言ったらしいけれど、清正は三成の味方をすることはなかったのです。

かわいがられて育てられた秀吉の正室のねね(北の政所)が徳川方についたことも大きかったかもしれません。

■関ケ原の戦いのときの清正

清正は、あの三成と家康がいるメイン会場にはいませんでした。

九州からの敵のストッパーをしながら、九州の西軍をどんどん倒していきました。

この功績が称えられて徳川家から、褒美として、熊本の領地を与えられ、熊本城の城主となりました。

■戦後の清正

清正は、関ケ原の戦いでは徳川家についたけれど、豊臣家への恩義、忠義を忘れてはいませんでした。

だから、徳川家(家康)と、豊臣家(秀吉の息子の秀頼)との仲を取り持って和解させようと頑張っていました。

そして、家康と、秀頼が二条城で会うことになりました。

清正も一緒に行きました。

秀頼を守るために懐に短剣を忍ばせて挑みました。

その時、秀頼は、毒殺を恐れて出された食事を食べたふりをして実際には食べませんでした。

清正は、毒見が終わってからの饅頭を食べました。

 

■最期は

清正のハッキリとした死因は分かっていません。

突然の死だったことからも、いろいろな説があります。

(秀頼、家康の会見から約2か月後のことだった)

・高熱を出して病死

・ハンセン病

・家康の暗殺説

などなど・・・

「真田丸」では、服部半蔵暗殺説(家康の暗殺説)を採用していましたね。

🐨服部半蔵のお話はこちら↓面白いよ★

鬼と呼ばれた服部半蔵の人生が感動した!徳川家とのつながりやお墓など

 

清正の最期が、家康と秀頼の会見のすぐ後だった、ということが、家康暗殺説を生み出しているのかもしれないです。

清正は、なんだかんだで、豊臣家の人間なのでしょう。

関ケ原の戦いで、徳川家の味方をしても、豊臣家に執着のある人間を家康は嫌ったのでしょう。

親友の福島正則も家康に嫌がらせを受け、悲しい最期となりました。

🐨福島正則のお話↓🐨

猛将福島正則は賤ケ岳・関ケ原の戦いで大活躍するけど・・・天然キャラなのか?

正則と同じように、清正も、豊臣家と運命共同体だったのかもしれないですね。。。

 

お城を作るのが上手

あんまり知られていませんし、そういうイメージがわかないのですが、清正はお城職人です★

お城の名プロデューサーです🏯✨

虎を退治する人が、建築家のようなことができるなんて思わないですよね🐨(笑)

しかし、清正の作ったお城は、とても繊細で凝ったデザインなのです!

  • 熊本城

熊本城は、難攻不落のお城です。

いろいろな仕掛けが仕掛けられています。

有名なのは、「武者返し」という石垣ですかね。

上に行くにつれて角度が急になって登れなくなるという細工になっています。

あと、びっくりしたのは、

熊本城は食べられるのだ!!」

長い戦となって兵糧攻めをされたときに、食べ物が無くなったら、お城を食べよう、という事ですね。

壁の中にかんぴょうを入れていたり、武器を結んでいる紐はわらびだったりするんですよ⭐

すごいこと考えますよね😲

場内に井戸は120個あったり、木を植えたりと、長い籠城戦に耐えられるように築城したのですね。

朝鮮出兵の時の籠城戦の時に、餓死者が出たり、泥水を飲んだりと、苦しい思いをした経験から、そのような発想になったと思われます。

 

後に、西南戦争で、西郷隆盛が、熊本城を攻めますが、落とすことができませんでした。

「おいどんは、軍に負けたのではない。加藤清正公に負けたんだ」と言い放ったと伝わっています。

そのくらい、難攻不落なお城なのです。

清正ってすごいねー!!

 

  • 名古屋城

1610年に、家康に頼まれて名古屋城を作ることになりました。

この時、豊臣家臣の仲間で、マブダチでもある福島正則も一緒でした。

「なんでタヌキジジイ(←家康のこと)の息子の城を建てなきゃいけなんだよっ」と愚痴る正則に対して清正は、「イヤなら国元に帰って家康退治の戦支度でもしろ」と言いました。

なんとなく、もう徳川の時代になることに気づいていたのでしょうね。

そんな中でも豊臣家をどうにかして良い形で残したい、と最期まで尽力していたわけですね。

 

と、ちょっと話がそれましたが、名古屋城のお城も清正が関わっています。

20メートルある店主の石垣は加藤清正が作ったもので、とても美しい石垣です。

 

ちなみに、江戸城の築城にも関わっていました。

清正の作るお城は美しくて、難攻不落でした。

 

立花宗茂との友情

よよちち🐨が大好きな武将の一人、立花宗茂とのエピソードが感動しちゃいます★

関ケ原の戦いで、東軍(徳川家)についた清正。

西軍(豊臣家)についた宗茂。

二人は敵対していた武将でした。

清正は、戦に勝った武将で、徳川家の家臣になるわけです。

宗茂は、徳川家の敵。

ばれたら相当怒られそうなのに、清正は宗茂に手を差し伸べるのです。

戦いの後、家康に領地を取られて、一文無しになっちゃった立花宗茂を救ってあげるのです!

まっすぐに生きている宗茂が大好きでした。

清正は、三成が嫌いなばかりに、その時の感情で豊臣家を裏切って、徳川家につきました。

宗茂のまっすぐな忠義に、自分の判断を深く反省した、といいます。

このことも関係して、関ケ原の戦いの後、秀頼と家康との間を取り持つような働きをしていたのかもしれないですね。

🐨詳しくはこちらを⚔↓

男の中の男!立花宗茂の生き方がかっこよすぎる!美しくきれいな生涯をサクッと解説★

立花宗茂という武将の絶対に惚れちゃうエピソード集★家臣号泣の理由とは?

 

 

パワースポットの井戸

一時期、みんなこの井戸を携帯の待ち受け画面にしていましたよね?

よよちち🐨もやっていたのですが、そのころ、歴史に関して、パッパラパー(笑)だったので、これが、加藤清正にまつわる井戸とは全然知らなかったのです。。。(恥)

こちらが分かりやすいかな→🌟

 

おわりに

よよちち🐨は日本史を勉強していくうちに、加藤清正のイメージがどんどん変わっていきました。

なんか、頭悪いけど強いぜ!!(←失礼)みたいな人物だと思っていました。🐨えへへ。

内政もできて、お城も作れるなんて、全然知らなかったです。意外でした!

 

熊本で地震が起こった時に、石垣1本でお城を支えていましたよね!

なんか清正が「おりゃー!」って支えているように見えたんですよね🐨。。。

清正って、時代を超えて、私たちにメッセージを送ってくれているような感じがします。

 

それにしても、秀吉の「朝鮮出兵」ってホントバカな事したなーって感じがします。

結局自分で自分の首を絞めた結果となりました。

ただ、朝鮮に行って暴れて帰ってきましたって感じですよね。。。

朝鮮出兵に行った武将たちは、すごい過酷な戦だったのに、褒美もほとんどなく、損害だけが残りました。

もしかすると、これが秀吉の作戦だったのかもしれないけれど。。。

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よよちち🐨は、ぶっちゃけると徳川家康って好きじゃないのです。

ホント、ホント、タヌキジジイできらーい(笑)

今の平和があるのは、徳川家のおかげで歯あるのかもしれないけどさー。

むむちち㊚🐗は、戦国時代で家康が1番好きな武将なんだってー。

歴史の話になると、そこでなんとなくぶつかるの(笑)

 

他にも、清正にかかわる人物のお話もいろいろありますので、ゆるゆると読んでみてください↓✨🐨

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