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803号室

大好きな戦国武将 歴女への道

歴女に人気の武将「浅井長政」の生涯は「義」を重んじた筋が通った人生だった

更新日:

こんにちは★

歴女になりつつあるよよちち🐨です★

特に戦国時代については、詳しくなってきました♪うれしー🎶

人生の楽しみを見つけられた、と言っても過言ではないくらい、

よよちち🐨にとって「歴史」との出会いは大きいものでした💛

 

これからも、日々勉強してもっともっと深掘りしていきたいなって思っています。

 

今回は、大人気武将「浅井長政」について勉強しました。

誰でもわかるように簡単な言葉で書いています★

ということで、今回は 浅井長政のかっこいい生き様 のお話★

浅井長政の生涯を簡単にサクッと

※名前は賢政→新九郎→長政になりますが、「長政」で統一します※

■生まれ

浅井家は、近くに住む力のある「六角家」に媚びを売りながら、なんとか自分たちの領地北近江を守っていました。

というのも、父親久政がぱっとしない人で、だんだん六角家に支配されていくようになりました。

そんな、なんだかなーっという状態の時に、長政は生まれました。

その時も六角家から名前をもらったり、六角家の家臣の娘を嫁にさせられたり、父・久政の六角家へのごますりに周りはイライラ!もちろん長政もイライラ!

イライラ中の家臣たちは、優秀な長政にさっさと家督をつがせようとします。

父・久政を隠居させ、15歳の時長政は家督を継ぐことになりました。

 

■家督を継いで、独立に成功

お父さん久政を引きずり下ろすような感じで、浅井家のTOPとなった長政。

父長政は隠居させられることになりましたが、ちょいちょい口をはさむような立場になりました。

そして長政は六角家と戦い、15歳で見事な勝利を飾りました。

めちゃくちゃ強かったそうです。

そしてついに「六角家」から解放され、自由を手に入れました☆

「独立したぜ」と知らしめるためにも、もらった嫁は速やかにお返しし、六角家からもらった名前も改名しました。

 

■織田信長登場

尾張の地で、イケイケな男がいました。織田信長です。

信長は、味方を増やそうとします。その方がいろいろと都合がいいですからね。

(浅井家と同盟してれば、上洛するとき、すんなり通れるし)

そんな時、長政は織田信長から「同盟しませんか?」と言われます。

いい条件で同盟の申し込みがありましたが、長政には困ったことが1つありました。

それは、仲良しの「朝倉家」と、信長の仲が悪かった事

浅井家と朝倉家は、先祖代々ずっと仲良しで助け合う仲でした。

朝倉家と敵対している信長と同盟するのは、ちょっとなーーー。という感じ。。。

口出ししてくる父親にも反対されました。

しかし、長政は「絶対に朝倉家と喧嘩しないでね」条件を付けて同盟に応じました

「長政」の「長」はあこがれの信長の「長」からとったとも言われています。

長政にとって信長は憧れであり、信長も長政の事をとっても気に入っていて、同盟した時は大喜び!

信長は、自分の妹を嫁に出し、その結婚式の費用もぜーんぶ信長持ち。(当時では考えられない事)

そのくらい喜んでいました。

信長と長政は、お互い両想いだったのですね。そしてとても良好な関係でした。

さて、時の将軍足利義昭は、朝倉家が全然上洛してこないのにイライラ。

足利義昭は、信長に「朝倉家に、ちゃんと上洛するように言ってよ」とお願いします。

浅井家と同盟したことで、上洛の道も整ったし、将軍が頼ってきてるし、信長は、浅井家と一緒に上洛します。

この時に、あの「六角家」もやっつけました。

 

■信長の一方的な裏切り

義昭にお願いされた信長は、朝倉家に「ちゃんと上洛して将軍様にご挨拶しなさいよ」と言い続けましたが、全然動きません。

これに信長が、「俺の命令が聞けんのかーー」となり、朝倉家討伐となりました。

あれあれ??🐨??

浅井家と同盟を結ぶ条件として、朝倉家に喧嘩売っちゃダメ、という約束を交わしていましたよね?!

信長は長政に断わりもなく、詫びを入れるわけでもなく、一方的に条件を破り朝倉家へ攻撃

信長最悪!!!🐨

 

長政は悩みました。

同盟した信長につくか。

昔から仲良しの朝倉家につくか。

めちゃくちゃ悩みました。

長政は信長の妹を嫁にもらっています。

自分の義理の兄でもあり、嫁の兄を敵に回すことになってもいいのか?

将来を考えると、勢いのある信長に付いた方がいいのではないか?

でも、朝倉家には昔からの恩もある。父親は朝倉家の味方になれと言っている。

長政が出した結論は

朝倉家と一緒に信長を倒す」でした。

 

■信長と戦うことに決めた!

信長は、朝倉討伐のために、朝倉家のお城金ケ崎へ向かっていました。

浅井家はその背後をついて、挟み撃ちする作戦に。

信長はびっくり。「浅井家と同盟を結んでいたはずなのにーーー!」と。

(先に約束破ったのは自分なのにね)

この挟み撃ちによって信長は退陣するしかなく近江から逃げていきます。

浅井家は追いかけていきますが、信長を取り逃がしてしまいました。

(これが痛い失敗でした)

この、信長の撤退劇にはいろいろなエピソードが存在しています。

浅井家が、信長を取り逃がしてしまった原因は、長政の妻が、兄の信長に

「お兄ちゃん!うちの旦那が、挟み撃ちする作戦らしいわよ」と密告した。

だから、すぐに逃げることができたのではないか?とも言われています。

(妻は、夫の長政を売ったのね説 ※諸説あり)

この信長全軍の撤退劇は「金ケ崎の退き口」と言われています。

信長軍は、挟み撃ちされて、絶体絶命の大ピンチ!

信長に殿(しんがり:軍の最後尾で、戦いながら、軍を逃がすという大役)を任されたのが、あの豊臣秀吉、明智光秀なのであります!!

この二人が時間稼ぎをして、追いかけてくる敵たちと戦って信長の窮地を救ったんですね。

殿は、強くて、頭が良くて、信頼できる人にしか務まらない役割です。

この二人が討ち死に覚悟で殿を務めあげて、信長を無事に逃がしたのです。

 

こうして、浅井家、朝倉家は、とりあえずは信長を追い払うことには成功しました。

信長のプライドはズタズタに。。。

「浅井、朝倉、許さないぞーーー!浅井長政め!裏切りやがってー!」と信長はご立腹!

 

🐨先に約束破ったのって信長じゃん。。。

 

■姉川の戦い

怒った信長は浅井家を攻めます。

織田・徳川連合軍VS浅井・朝倉連合軍

結果は 織田・徳川連合軍の勝利となりました。。。

織田軍は13段の構えで対峙しました。

浅井軍は11段まで突破しましたが、側面を突かれて負けてしまいました。

この後、信長はどんどん勢力を伸ばしていくことになります。

 

■信長包囲網

将軍様を差し置いて、我が物顔でいる信長が気に入らなくなった将軍義昭。

「1番力があるのは俺のはずなのに、信長め、偉そうにしやがってーーー」となり、

義昭は、各地の大名達にお手紙を書きます。

「みんなで、信長をやっつけて!」

これが「信長包囲網」とよばれるものです。

信長は確かに、理不尽に女子供を殺したり、延暦寺を燃やしたりとやりたい放題でしたので、周りの大名達も立ち上がりました。

武田信玄が、信長討伐に加わったことはとても大きな力となりました。

お寺を燃やすなんて!という仏教勢力も信長討伐に参加。

これにはさすがの信長も「参ったなー。あの武田信玄も参加するとなると厳しいなーーー」と。

あちらこちらから攻め込まれる信長。

信長征伐中の信玄率いる「武田軍」は、信長まであと少し、という所で急に甲斐に戻っていきました。

信長的には「あれ?何故に??」「でもラッキー☆」

武田信玄がなんと。。。死んでしまったんですね。武田軍は、急遽甲斐へ引き返すことになりました。

これで、信長包囲網が崩れていきます。

 

■浅井家再び信長と戦う

信長包囲網が崩壊し、浅井家は再び織田・徳川軍に攻め込まれます。

昔からの友人、朝倉家に援軍をお願いしました。

もちろん朝倉は20000の兵を連れて援軍に駆け付けました。

織田軍は30000人。

織田軍は、先に朝倉軍を攻め始めました。

織田軍の勢いに押された朝倉軍は、越前に撤退します。

しかし、信長は追いかけて、追撃し、朝倉義景を自害へと追い込みました。

その後、織田軍は浅井家に向かってきました。

もう朝倉家はいないし、浅井家だけで戦うのは困難。。。

「もはやこれまでか・・・」長政は覚悟を決めました。

信長は「降伏すれば助けるよ」と使者を送りますが、長政はこれを断ります。

 

■浅井長政の最期

長政は妻のお市と三姉妹を信長の元に届けさせます。

お市は「私も一緒に死ぬ!」と言いましたが、長政は説得し、「お前たちは生きるんだぞ!」と送り出しました。

そして、父親の久政が自害。

その翌日、長政も自害し、浅井家は滅びることになりました。

浅井長政の美人三姉妹と妻のお市

■お市(お市の方)

浅井長政の正室(奥様)であり、織田信長の妹です。

お市は、線が細い華奢な感じで、若々しくとっても美人だったと言われています。

(信長もきれいな顔をしてますよね。女性だったら美人顔)

長政もイケメンだったので、美男美女カップルです。

そして、長政とお市はとても仲が良かったと言われています。

二人の間には1男3女が生まれました。

(息子は、最後の戦いの時に城から逃げ出すことには成功しましたが、後で見つかってしまい処刑されました。9歳の命でした)

後に、この三姉妹は、とても有名な姉妹となります。

この二人の子供ですから、美人だったでしょう。

簡単に、3姉妹についてお話します🐨

 

■茶々(淀殿)

この人は超有名!

豊臣秀吉の側室になります!

そして、秀吉との間に子供が二人出来ました。

(秀吉は、女遊びが激しかったにも関わらず、子供が全然できなかったのに、もうおじいちゃんになってから、二人の子供ができました)

しかし、一人目の子は、すぐに死んでしまいました。

二人目の子が「豊臣秀頼」です。

大阪の陣(徳川VS豊臣)で、徳川軍に追い込まれて、茶々と秀頼は自害。

これで、豊臣家の血が途絶えることになりました。

ちなみに、茶々は、身長がめちゃ高かったらしい。

当時男性の平均身長が155~158cmだったのに、茶々は170㎝もあったんだってーー。巨大!!

 

■初

初は浅井家の親戚と結婚します。従兄弟の京極高次の元に嫁ぎます。

(今だと犯罪でございます)

後に家康の家臣となり、近江の大名となります。

初はこの三姉妹の中でも特に美人だったそうです。

 

■江

江(こう)は、秀吉の甥っ子の秀勝と結婚。その後は、徳川家康の子供の秀忠と結婚します。

この子供が、3代将軍の「徳川家光」です。

 

おわりに

浅井長政は「信長を裏切った人」と言われていますが、先に裏切ったのは信長だし、

長政は、昔からのお友達を守るために苦渋の選択をした、ということです。

「裏切り者」ではなく「友情を取った人」なのに。。。

長政は、とても心が優しい人だったと思われます。

そして、友達を大事にして、最後まで筋を通して戦い抜いたかっこいい武将でした。

今でも地元に愛されています。

 

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