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803号室

歴女への道

松永久秀とはあの織田信長や豊臣秀吉が真似した人!マルチの才能を持った面白武将★

更新日:

こんにちは★

面白武将をいろいろ調べるのが好きなよよちち🐨です🌟

 

NHKの「麒麟がくる」では、吉田鋼太郎さんがいい味出してました🎵

ちょっと無茶苦茶でもあるけれど、マルチな才能を持った秀久の人生が面白いです!!

 

ということで、今回は、悪名高いけれど、憎めない面白い武将松永秀久の人生 のお話★

 

松永秀久の生涯をサクッと

※文内では松永久秀(まつながひさひで)の名を、久秀で統一しています※

■生まれ

1510年に生まれたらしいです。

松永秀久という人物は、出身地もわからない、親もわからない、経歴もわからない。。。

父は松永三五左衛門(清秀)、母の名前は林の娘らしい。

出生地もいろいろで、徳島県、京都府、大阪府など。。。謎だらけですね。

名前は他に、松永 弾正(まつなが だんじょう)とも呼ばれています。

 

■三好家に仕える

27歳。

久秀は、三好家のボス三好長慶(みよしながよし)に仕えます。

三好長慶という武将について、超簡単に説明しときます。

三好家の本拠地は徳島県でしたが、三好長慶は兵庫県で軍事リーダーを任されていました。

だけど長慶は、当時の将軍・足利義輝(あしかがよしてる)の政治に不満を持っていました。

いつかこの世界を変えてやると目論んで、知恵を付け、力を蓄え、人を集めました。

そしてついに!将軍・足利義輝と、政権ナンバー2の武将・細川晴元を追放して、政権を奪還したのです!

権力を得た長慶は、自分の思うルールを作り、支配して、事実上の天下人になりました。

長慶は、まさに下克上の達人だったのです。

松永秀久は、この天下人・三好長慶に仕えたのでした。

久秀の仕事は、最初は軍人ではなくて、法律や仏教などを教える役でした。

そもそも久秀の出身地や経歴がよくわからないのに、迎え入れた三好家は、家柄や職歴などにこだわりがなかったのか。それとも、久秀はだれかの紹介だったのか、親が家臣だったのか、んーーー謎。。。🐨

 

■城持ち武将になる

48歳。

政治の中心となっていた京都やその周辺地域には、かつての将軍に仕えていた残党がうろうろして、問題を起こしていました。

この輩から街を防衛しろ!と頼まれ、残党狩りをしたのです。

秀久は、「畿内」と呼ばれる5つの地域、奈良県、大阪東部、大阪南部、大阪北部、兵庫県東部を支配するほど強かった!!

統率力、軍事力、人心掌握、金銭管理などずば抜けて長けていたのでしょう。

これを評価されて、兵庫県神戸市の「滝山城」の城主に大出世したのです。

 

■奈良県の支配を任された

51歳。

この当時は、武将よりも寺社勢力の方が大きな力を持っていました。

そこで長慶から、興福寺(こうふくじ)の討伐するように命令され、このため、もともといた神戸市の「滝山城」から奈良県の「信貴山城(しぎさんじょう)」に引っ越して、興福寺を討伐しました。

同じころ、急に、主君の三好長慶と細川晴元が仲直りをしました。

🐨邪魔者として追いやったのになんでー?

細川晴元と仲直りしたら、当然元将軍・足利義輝も京都に戻ることになります。

せっかく下克上したのにどうした!長慶!!よくわからないな。。。🐨

久秀は、将軍に返り咲いた足利義輝の身の回りのお世話をする「御供衆(おともしゅう)」という役を任されました。

ついでにと言わんばかりに、長慶の長男の面倒見役まで頼まれてしまいました。

上司の世話役と、新人の教育係・・・中間管理職といったところでしょうか。

世間では信頼の証、重要な役割などと言われていますが、本人はどう思っていたのでしょうか、その本心は謎ですよね。。。

🐨よよちちはこういう役割苦手。。。

 

■時代の最先端&名クリエーター

武将と聞くと無骨なイメージを持ちがちですが、久秀は、芸術や建築、お茶などでも非凡な才能を持っていました

秀久が作った「多聞城(多聞山城)たもんじょう」が流行の原点となったのです!

城内の中心となる場所には、屋敷や政治活動を行う建物を作り、その建物の壁には分厚い白色の土壁を用い、寺院や公家屋敷にしかなかった石垣を用いたり、屋根には黒い瓦ぶきを用いたりしました。

外観は白と黒のモノトーンな街並みだったそうです。

そして内装には、扉の取っ手などの細部に金細工を用いたり、壁に絵画を飾ったり、茶室には落ち天井を作ったりしました。

城内には整備された庭園も作られていたので、散策や鑑賞などを楽しんだらしい。

西日本では一番豪華な城だったので、すぐに有名になりトレンドの先駆者となりました!

さらには、茶の湯にも通じていて、茶器、床の間、掛物など茶室の作りこみにこだわり、名茶器をたくさん所有していたそうです。

🐨センスが良いのですね✨そして感度が高くて流行の最先端を行ってんだね🌟

人の世話ばかりしていたから、きっと自分の好きなことに没頭することで癒されていたのでしょうね。

実はその後、織田信長が安土城を築城するときに多聞城を参考に、大きな天守閣を作ったり、豪華絢爛な装飾したり、家臣を傍に住まわせるなど、久秀が作ったお城を真似したのでしたらしい!!

豊臣秀吉の城も、金ピカで豪華絢爛、茶室、庭園や美術品の数々など、トレンドが引き継がれているのですね~🐨

 

■三好三人衆の暴挙と汚名を着せられた秀久

58歳。

主君三好長慶の弟達が相次いで死んでしまいました。

長慶が悲しみに暮れる中、なんと長男の義興も若くして死んでしまいました。

あまりのショックからか、長慶自身まで死んでしまったのです。

後継ぎは甥の三好義継になりましたが、まだ若すぎたので、事実上の政権運営は松永秀久三好三人衆といわれる重臣、三好長逸(ながやす)、三好政康(まさやす)、三好友道(ともみち)が行うことになりました。

三好家がごたごたしている中、将軍足利義輝は、奪われた政権を取り戻す策を密かに練っていました。

しかしこの策を察した、三好軍団、三好義継、三好三人衆、久秀の息子久通は、合計1万の兵を率いて将軍足利義輝の御所を襲撃し、自害に追い込んだのです!!

🐨あれ??松永久秀は?この暗殺事件の首謀者と言われ、「将軍殺し」の汚名を着せられている久秀ですが、なんと参加してなかったのです!!

久秀は「俺は奈良県に居た!」「俺じゃないよー!」と叫びましたが、周囲の疑いはより深まるばかり。。。かわいそ。

「では、なんで息子が参加しているのだ!!」「黙認したのだ」

🐨ま、確かにそうよね(笑)

 

 

■三好三人衆って何者?

三好長逸は一族のまとめ役(長老)で、内政、外交、軍事など全てに渡り、主君である長慶を補佐。

三好政康は大阪の支配維持に貢献していました。

元々長慶と敵対していた細川氏に仕えていたけど、なんかの経緯で長慶に仕えることになったそうです。細川晴元を追いやった時どんな気分だったのだろう。

友道は家臣団の代表として軍事や行政で活躍していました。

元々は農園を管理する下級役人で、低い身分から家臣団の代表まで上り詰めました。

 

■内乱勃発

将軍足利義輝を自害に追い込んだ三好三人衆は政権を思いのままにしようとたくらみ、世間知らずの若き足利義栄(よしひで)を14代将軍に仕立て上げました。

が、しかし、そんなにうまくいくはずもなく、三好三人衆と久秀は「将軍殺し」と揶揄され世間の風当たりは強くなり、遂に支配してきた畿内各地で内乱が起きてしまいました。

これがきっかけとなって、畿内支配の主導権を巡り、久秀と三好三人衆は対立し三好家を二分することになったのでした。

 

■三好三人衆VS久秀がなぜか。。。??

三好三人衆VS久秀

久秀は、なんとこの時に、三好三人衆が陣をはっていた東大寺に奇襲をかけたのです。

それで、久秀の勝ち。

でも、この「東大寺仏殿を焼いた」ことで、世間からは冷たーーーい視線。。。

そりゃそうでしょ。。。

久秀が勝利したものの、三好三人衆の勢力はなかなか衰退しないので、このままではだめだと判断した秀久は、信長に名物茶器「九十九髪茄子(つくもかみなす)」をもって、

「三好三人衆を徹底的にやっつけたいから協力して!!この茶器あげるから!」

と頼みに行きました

信長はこの茶器をとっても気に入って、久秀の味方をすることにしました。

そして、久秀は、信長の援護を受けることになりました。

ということで、今度は

三好三人衆VS秀久&織田信長の戦いとなりました。

もちろん秀久&織田信長軍の勝ち。

三人衆は信長に抵抗しましたが勝てるはずもなく畿内から駆逐され、信長が平定させて平和になりましたとさ。

ここで秀久は、信長の家臣となりました★

 

■織田信長を裏切る1 信長包囲網の時

全国に信長包囲網がしかれ、武田信玄が進出してくると、なんと久秀は信長征伐に参加します!!

🐨ええええ!!

これが、一度目の謀反

しかし信玄が急死して、信長は窮地を切り抜けて、勢力が復活していきます。

信長包囲網が消滅して、やっぱり信長にくっついていた方が良いと判断した秀久は、

「信長様💚名物茶器「作物茄子」をあげるからゆるしてー」とお願いします。

信長のお返事は、なんと!!

「いいよーー🎵」

🐨いつもの信長だったら「ぶっ殺す!!」って言うでしょ。

怒りんぼ信長が、謀反を許してあげるって、どういうことなんだ??

信長って、久秀には甘いというか、やさしいのよねー。

それか、この時代の「茶器」ってそんな効力があるのか??

なんかよくワカラナイ2人ですね(笑)うふふ。

■織田信長を裏切る2 そして日本で初めての爆死!?

久秀は上杉謙信、毛利輝元、石山本願寺などの反・信長勢力に寝返って、本願寺攻めから勝手に離脱!!

🐨何がそんない不満だったのだろう??なんか笑っちゃう!

信長の命令を無視して、信貴山城に立て籠もって対決姿勢を取りだす秀久!!

なんと2回も信長を裏切るのですね。

その姿を見た信長は、「何が不満なのか久秀に聞いてこい」と使者を出しました。

しかし久秀は使者には会おうともしませんでした。

信長は建前上、嫡男・織田信忠を総大将にして、筒井順啓、細川藤孝、明智光秀らを主力とした大軍を送り込み、信貴山城を包囲しました。

包囲していた武将・佐久間信盛は

「信長様が名器・古天明平蜘蛛(こてんみょうひらぐも)をよこせば許してやるっていってるよー!!」と久秀に伝えましたが、

「平蜘蛛の釜と我らの首と2つは信長公に見せたくない!くれてやるぐらいなら、鉄砲の薬で粉々に打ち壊してやる!!」と言い返しました。

さすが久秀!(笑)

仕方ないなーと、織田信長が攻撃を開始すると、なんと久秀は平蜘蛛を叩き割って天守に火をかけて自害!!

🐨ん??あれ??爆死じゃないのか?

鉄砲の薬で粉々に打ち壊してやる+自害=爆死 と解釈されたのか、面白く捻じ曲げられたのか、ドラマなどの演出が真実として広まったのか??

日本で初めて爆死した人と伝わっていますが、本当は違うようですね🐨

ま、面白い人物であることは間違いないね(笑)

🐨こんなに信長が優遇してくれてるのに、久秀は信長のどこがそんなにいやだったのかしら??

 

■日本で初めてクリスマス休暇を取得した人物!?

秀久VS三好三人衆の戦いのときのこと。

秀久は、劣勢な状態で困っていました。

うーーーん、どうしたものか。。。

ちょうどクリスマスの時期でした。

久秀は「この手があった!!」と

「三好の皆様、クリスマスですよ⛄戦なんてしないでクリスマスを楽しみましょう♪」と言って休戦し、一緒にクリスマスを楽しんだらしい(笑)

 

ということで、久秀は「日本で初めてクリスマス休暇を取得した人物」と言われています。

 

久秀ってやることがおしゃれじゃない??🐨💜

 

おわりに

松永秀久は

東大寺大仏殿を焼き討ちにしちゃって、室町幕府将軍まで暗殺して、織田信長を2回も裏切っちゃう程大胆不敵な人物!!

まさに唯一無二ですね🌟

その最期は爆死でなかったにせよ、天守閣で名茶器を粉々に壊し、派手に死にました!!

 

叩き上げで、下克上の達人、芸術肌で、信長や、秀吉も真似しちゃうほどの名クリエイター💚

「麒麟がくる」の吉田鋼太郎さんも、そんな雰囲気が出ててピッタリだと思うのーー🐨

明智光秀と接点があったのか??ちょっとその辺はわからないけれど、久秀に活躍してもらって、大河ドラマを盛り上げてほしいなー✨

 

松永久秀に関しては、もっともっといろいろ詳しく書きたいので、エピソード集を別記事にしましたので、そちらも合わせて読んでみてくださいね🐨笑っちゃうよ🎵↓

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🐨ほかにも笑える武将たくさんいます🎵↓ぜひのぞいてみてくださいね🌟

ほんとお茶目で笑っちゃうよーうふふ。

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