幕末を生きた新撰組鬼の副長イケメン土方歳三の生涯を超絶分かりやすく!戊辰戦争最後の函館戦争まで

こんにちは★

日本の歴史大好きよよちち🐨です★

 

今回は、「青天を衝け」にも登場して、映画「燃えよ剣」も公開される歴女のアイドル?土方歳三についてまとめました。

よよちち🐨は戦国時代が1番好きなのですが、「幕末」も熱い熱い時代ですよね!

幕末ファンもすごく多い!土方歳三ファンもすごく多い!よよちち🐨も大好きです!

顔だけではなく生き様もイケメンでございます🐨

ということで、今回は土方歳三の生涯をとっても簡単に分かりやすく書いていこうと思います。

この時代って、難しい言葉が多くて、よよちち🐨もよく分からないので(笑)簡単な言葉に変換します。

流れと分かりやすさを重視して書くので、細かいことは気にせずに?(笑)読んでみてください🐨

 

土方歳三誕生

土方歳三は天保6年(1835年)、武蔵国多摩郡石田村(東京都日野市石田)で生まれました。

10人きょうだいの末子。(4人すぐに亡くなっていまするので6人兄弟という人もいます。)

両親は歳三が小さいころに亡くなっていて、兄弟に育てられました。

歳三は小さいころから元気いっぱいでやんちゃ坊主。「バラガキ」と呼ばれていました。

🐨触ると傷がつく荊のように乱暴なガキという意味

 

歳三はお金持ちの子供でしたがプラプラしているわけにはいかず。。。働くことにしました。最初は洋服屋さん。

そこではどうやら女がらみで問題を起こしてクビになり。。。その後は、土方家の「石田散薬」という薬を売り歩いていました。

そんなこんなで25歳の時に、大きな転機を迎えて土方の剣士としての人生が始まります!!

 

特殊部隊「天然理心流」へ入門

天然理心流とは、今でいうSWATみたいな感じかな。
暗殺部隊なので、スポーツのような剣術ではなく、実践的な物でした。

剣を使わない関節技だったり、砂で目をつぶす、などお上品な物ではなく、「勝つ」「暗殺」のための術を学んでいきました。

なので、天然理心流の剣術は、強くて当然だったのです。

ここで、後に新撰組局長となる近藤勇らと出会いました。

 

新撰組の「鬼の副長」となる

徳川家親衛隊の会津藩藩主の松平容保は、幕府を守る警備員を募集しました。

それを聞きつけた近藤勇らが就職活動。

そして、いろいろなことがありましたが、晴れて「新撰組」という幕府警護の組織となりました。

しかし。。。元は農民やら、浪人のヤンキー集団。

新撰組は田舎者丸出し状態だったので、都会の京都の人たちからは「汚らしい」とか「野蛮やわ~」と嫌われてました。

土方は、隊長の近藤勇を大名にしたい!幕府を守るかっこいい丹嘉一の組織にしたい!と思っていたので、

けんかっ早く、ひっちゃかめっちゃかな状態な新撰組の中に決め事をつくりました。

それが「局中法度」という命懸けのルール。

簡単にいうとこんな感じ↓

「武士道に背いたら 切腹」

「新撰組から抜けると言い出したら 切腹」

「勝手にお金かりたら 切腹」

「勝手に喧嘩したら 切腹」

「勝手に裁判起こしたら 切腹」など。。。

土方は、このルールを破ったら、本当に処罰&切腹!🐨恐怖政治で、ヤンキーたちをまとめていきました

「鬼の副長」となるのです。

🐨それだけ本気で新撰組を育てて良い組織にしたかったんだと思う!

 

こうして、だんだん「新撰組」は、評判も良くなり、結果を残し、有名になっていきます!

「池田屋事件」などが有名です。

幕府を攻撃しようとたくらんでいる人達が集まっている所に少人数で斬りこみ大事になる前に事前に食い止めることができました。(できていなかったら京都は火の海になっていたかもしれなかったのです)

圧倒的な強さも見せつける事もできて、評判が爆上がりーー!

新撰組、だんだんいい感じーーーって思っていたが。。。

 

江戸幕府が不安定に。。。

そんな中、、、雇い主でもある幕府の雲行きが怪しくなってきます。。。

テストに出た「尊王攘夷」という言葉  🐨当時、意味不明だったなー

超簡単に言うと、天皇第一!幕府は要らない!討幕する!という感じ。

その中心となるのが、同盟を組んだ薩摩藩と長州藩。(薩長同盟)

その人たち(西郷隆盛とかね)が「新政府軍」となり、新撰組などの徳川幕府を守るぞ!が「旧幕府軍」として戦争沙汰になっていくのであります。。。

 

大政奉還

このままだと、討幕軍団に幕府がやられてしまうーーーと焦った徳川慶喜は、「大政奉還」をします。

「大政奉還」とは、教科書では、政権を朝廷に返した、という1行の文章で終わりですが、ここには大きな意味がありました。

慶喜は、討幕軍団に「あなた達が倒そうとしている幕府はもう朝廷に返しちゃったからないよーー」という意味だったんですよね。

もし、幕府が倒されたら徳川家もなくなるわけで。。それよりも幕府を朝廷に返して、自分たちも生き残って政治をやろうと思っていたんですね。

でも、そんなうまい話はなく。。。

そのこんたんを知った討幕軍団(新政府軍)は「そんなのだめーー!それじゃ何も変わらないし!!」と怒りだして、戦争に発展していくことになります。。

 

鳥羽伏見の戦い(戊辰戦争の始まり)

「新政府軍」と「旧幕府軍」は京都に向かって進軍します。

これが初めての武力の戦いです。

結果は旧幕府軍の負け。

なんと!大阪城にいた徳川慶喜と松平容保(←この人が新撰組の大ボスね)が逃げ出して江戸に引っ込む、という形で終戦。。。

なんとも不思議な終わり方です。
🐨いろいろ大人の事情とかあるんだろうけど、部下たちに戦わせておいてボスが逃げ出すって。。。ねぇ。。。

新撰組は、これをどう思ったのでしょうか。。。。

とりあえず、江戸に帰ります。

 

晴れて幕臣の仲間入りと思いきや・・・

江戸に戻った新撰組は、勝海舟から、「【甲陽鎮撫隊】となって新政府軍より先に入って幕府直轄の甲府を頼む!」と言われ、幕臣になれるのねーーー🎶夢の武士になれるーールンルン🎶な新撰組。

しかし、これには理由が。。。

勝海舟は、新撰組の強さが厄介だな、と思うこともありました。新撰組が強すぎちゃったのかもしれないですね。

だから、勝は、「甲府の方にでも行ってくれ!」という意味だったんですね。

新撰組は強いし、江戸に近い甲府を守ってくれたら安心だし、ちょうどいいかな、みたいな感じ。

ワクワクしながら甲府方面に向かう甲陽鎮撫隊となった元新撰組。

ちょっとモタモタしてたら。。。

新政府軍が、もういる!!

手遅れーーー💦

という状態になり敗北。。。

甲陽鎮撫隊(旧幕府軍)は撤退。。

🐨甲府のボスにはなれなかったのね。。。そして幕府にもみはなされてしまった。。。

この時に、新撰組の局長であり、仲間だった近藤勇が新政府軍により処刑されました。
沖田総司もこのころ病気で寝込んでいまして、近藤勇の処刑後すぐに死去。。。

🐨新撰組がどんどん減っていく。。。

それでも土方は「新撰組魂」で戦っていくのであります!

会津戦争

「会津戦争」は有名ですね。会津まで新政府軍が進軍してきました。

会津藩は徳川家と一心同体のような存在です。(新撰組を雇った松平容保は会津藩の藩主)

ですので、旧幕府軍として戦いました。

ここで、土方は若い青年たちに出会います。

そうです。「白虎隊」です。

土方は、白虎隊のあこがれの存在だったようです。

会津戦争の結果は。。。
新政府軍の勝ち。
土方や、松平の部隊旧幕府軍は負けてしまった。

🐨白虎隊の1人の勘違いからみんなが城の方を向いて自害した話は有名ですね。。。本当に悲劇です。。。

ここでも元新撰組の斎藤一とお別れをします。会津藩の負けは確実の状態でした。

一緒に北へ向かおうといいますが、斉藤一は、「この地に残る」ことを選び、一緒には行かないと。。。

土方は、また仲間とお別れをしました。。。

でも、さらに北をめざし北海道へ!!

 

函館戦争での土方

土方は、五稜郭を目指してくる新政府軍を山道の「二股口」という場所で、迎え撃ちます!。

およそ、5倍以上の敵が攻めてきました。

しかし、土方の指揮能力と、先を見る目で、敵を引き返すことに成功します。

🐨土方は、戦闘能力だけでなく頭もキレキレだったのです。

その後、新政府軍は、奇襲作戦に出ますが、これも土方はよんでいた。。。

準備ができていたので、またまた勝利します!

ここでの2回の戦いは、土方らしいやり方で5倍の敵でも勝利に導くのであります!!!

新撰組時代の「退く者は斬る」という鬼の副長の一面と、いろいろな経験を積んで成長した土方の人を思いやる一面。

勝利した後、土方は各部隊の所へ行ってお酒を1杯ずつ振舞ったそうです。

究極の「アメとムチ」ですな🐨

土方の部隊は五稜郭への通り道を阻止することに成功するのですが、他の道の部隊が買い目値状態に。。。

他の道を通って五稜郭に攻め込まれてしまうので、この二股口を守っていても意味がなくなってしまった。。。

そして土方は兵を退くことに。。。

🐨きっと悔しくてたまらなかっただろう。。。

そして、五稜郭に到着し、劣勢になっていようが最前線で指揮をとって戦います!

もうダメか。。と悟った土方は、側近の家来に、遺髪と写真、手紙や刀などを家族に届けてくれ、とお願いします。

側近の家来は「僕も一緒に戦って土方さんと死ぬ!」と言いましたが、

土方は「行かないなら斬る!!」と言い、無理やり逃がしたんですね。

🐨ここで、元新撰組の鬼の局長を思い出させるセリフが。。うふふ。

でもやさしさからの厳しい言葉です。何か月もかかってそれは家族の所へ無事届けられました。

それがこの有名な写真なのです🐨

 

その直後に土方は流れ弾が土方の腹部にあたり、、、

失血死。34才という若さでした。。。(※諸説あり)

その約1週間後、旧幕府軍は降参。

約1年4か月続いた戊辰戦争は、この函館戦争で、終わることになるのであります。

 

※暗殺説やら生き延びてロシアに行った説などもあります

ちょこっと豆知識

①新撰組の制服は青ではなく黒

新撰組を思い浮かべると青い制服を想像しますよね。

でもこの青い服を着てたのは最初だけ。

目立つし、生地薄いし、ダサい(←土方が言った)ということで、すぐに黒色に変更になりました。

ですので、実際はほとんど黒色の服で活動していました。

②土方歳三は生涯独身

モテモテ、女の子大好きな土方でしたが、生涯独身でした。

ラブレターをたくさんもらって段ボール箱に入れて実家に送っていたらしい。

ジャニーズみたいなエピソードだ🐨

③都市伝説!?土方歳三は生きていた?暗殺された??

土方の遺体が見つからない事で、生存説や、暗殺説がありますが、遺体は五稜郭にあったようです。

(北海道の新聞に掲載されている記事がありました)

 

おわりに

土方歳三という人物は短い人生の中にいろいろなドラマがぎゅっと詰まった人物です。

「武士より武士らしく」

ずーーっとぶれなかった。

「退く」ことを嫌った土方らしい生涯だったと思います。

男前のアパレル店員さんからの薬売りの商人からの新撰組、そして、旧幕府軍として最後まで武士として戦いました。

🐨かっこいい最後の武士です!!

🐨他にも面白い人物をいろいろ書いていますので良かったら読んでみてください✨↓

 

yurizo