本能寺と薬研藤四郎の京都旅★戦国時代好き必見の織田信長と森蘭丸の刀が見れます!

こんにちは★

歴史探偵よよちち🐨です🌟

史跡巡りしようと、京都へ行ってきました!

今、全国旅行支援があるので安く行けて良いですね✨

 

そして、桜が満開の時だったのでさらに気分上々でお散歩できました🐨

(2023年3月24日-25日の旅日記です)

本能寺

さて、今回ご紹介したいのは、「本能寺」です。

実は、、、1泊2日での旅行だったのですが、1日目、2日目と2回行きましたーーー🐨(笑)

もう、1日だけだと見たりないっていうのと、あの世界に浸りたくて合計で3時間以上いました(笑)

1日目の最後に閉館30分前に滑り込んで、、、
そんなに広い展示会場ではなかったので30分あれば見切れるだろう、、、と思ったのですが、とんでもない!!

内容が濃すぎて!!

目に焼き付けたいし、会場内で流れている説明とかも聞きたくて。。。

急遽2日目も行くっていう。。。(笑)🐨💦

 

知らずに行ったのですが、「薬研藤四郎」っていう刀の復元を記念して、展示会をされていました。
※この刀の説明は後程※

アクリル板越しではあるのですが、実際の刀を超―――――間近で見る事が出来ます。

もつことも可能!
虫眼鏡で、波紋や、切り口を見ていると本当に吸い込まれそう。。。。

 

深呼吸するように、と注意書きが書いてあるのが分かる気がする!

何度も、深呼吸して心を落ち着かせて見させていただきました。

 

館内は写真が撮れないので、よよちち🐨の説明では全然伝わらないと思うのですが、簡単に書かせてもらいます。

よよちち🐨が1番衝撃を受けたのが。。。

信長が切腹した時の血や髪の毛が付いたつば(刀と手の間にある平らな丸いやつ)です!!!

信長の遺体って見つかってないじゃないですか。。。

だから生きてるんじゃないか説、、、よよちち🐨はあると思っていました!

が。。。

これを見たら、、、本当に死んでるんだ、と実感してしまいました。。。

 

そして、本能寺に火をつけて、その中で本当に切腹したんだ、と。

火事で亡くなった、というわけではなく、大火事の中で、切腹したんだなーーーって。。。

 

本当になんとも言えない気持ちになりました。

無念だったろうな。。。とか、かっこいいな。。。とか、いろーーーーーーーんな感情が入り混じって。。。

 

たまらなく心が揺さぶられました。。。

 

そして、森蘭丸の背負い刀なんかも展示されていました。

よよちち🐨、それこそ、森蘭丸なんて、妖精さんかな、(笑) なんて思っていたので、本当にいたんだなーーと思ってしまいました。

刀傷なんかもあって、、、実在した人物で本当に戦国時代に生きてたんだ、と。

 

なんか、そういうのを見てるだけで幸せな気分になって、ここから出たくない(笑)っていう感情になり、何時間も居座ってしまった。。。

歴史好きな方には是非是非あの世界観に浸ってほしい!!

 

他にも鎖帷子とか、織田信孝(三男)からの実際の血判付きの書状などもありました。

その内容は、簡単に言うと、

「お父さんのお墓を本能寺に作ってね」というような内容。

なので、信長のお墓はいろんな場所にあるし、供養塔なんかもたくさんありますが、本能寺のお墓は、ちゃんと息子さんの意思で作ったお墓、という事が分かります。

 

大きな拝殿の横に、お墓があります。

 

その隣に、本能寺の変で亡くなった方のお墓があります。

 

さて、社務所に戻ると、めちゃくちゃかっこいい墨絵がございました!!

ひーー

かっこいいーーーー!!!

信長公ですね。

 

かっこよすぎて、この墨絵の御朱印を頂きました。

こちらが今回の展示のポスターです。

おそらく定期的に開催してると思いますので、ちょこちょこチェックしてみると良いと思います🐨

本能寺のHP→★⚔★

薬研十四郎とは?

すこしだけ「薬研藤四郎(やげんとうしろう)」の説明をしておきます。

この刀は藤四郎吉光というひとによってつくられました。最初の持ち主は、鎌倉時代の畠山政長氏が有力。

ある日、戦いに負けた政長が切腹しようとしましたが、全然お腹に刺さらない。イライラした政長は刀を放り投げました。

それが薬研(薬作るすり鉢みたいなやつ)に突き刺さり貫通した、というところから「薬研藤四郎」という名前が付けられました。

その後は足利家→松永久秀→織田信長に渡りました。

そして、本能寺の変で、信長と一緒に焼けてしまった。。。という刀なのです!!

🐨なんかすごいよねー。刀っておもしろいねーー✨

もちろん諸説あるし、本当の事は分からないけれど、刀に関する逸話みたいなのって面白いですよね!

刀のレプリカ2振り(へし切長谷部・永楽通宝がくっついたつば)

社務所の中に、刀のレプリカがありました。

写真撮ってたらおじさんが「持ってみていいよー」と声をかけてくださり、実際に持たせてもらいました!!

へし切り長谷部

よよちち🐨が持ってるのが信長が持っていた「へし切長谷部」という刀です!

こちらの刀は信長が茶坊主を怒ったら、逃げて台所の棚に隠れて、その棚ごと刺して殺したそうです。。。

のぶなが。。。。こわ。。。ひーー

それを圧切(へしきる)というところで、「へし切長谷部」という名前が付いたそうです!

信長になりきったつもりです🐨(笑)

お金がくっついたつば

織田信長が、今川との決戦「桶狭間の戦い」の前に、名古屋の熱田神宮に御祈願に行きました。

その時、お金を天に向かって投げたところ、落ちたお金が全部「表」だったそうです。

そして、あの番狂わせの勝利!!

ということで、記念してつばにお金を埋め込んだそうです!

お寺のおじさんが教えてくれました。

 

2本とも、実際の重さと同じに作られているそうです。

けっこうーー重たかったです。

これをぶんぶん振り回すってすごいです!!

どれだけの運動神経何だろう。。。

 

有名な戦国武将って、今のオリンピック選手並みの運動神経だったのかもしれないよねーー🐨

 

おわりに

実際、本能寺があった場所は1㎞くらい離れた場所です。燃えちゃったーーーー

ので、

秀吉の命令で、もう一度本能寺が建てられたのです。

その後も地震とか火事で何回か建て直したり、修復したりしているそうです。

 

住職さんのお話ですと、本能寺の変の時、お坊さんとかは、お堀の外に出されていたそうです。

そして、火事だ!と分かった瞬間に、お坊さんたちは掘に飛び込み、神様を抱きかかえて火事から守ったそうです。

その後の地震や家事の時も命懸けで守り抜いたそうです。

なので、拝殿の中の神様は当時の物なのだそうですよ!
信長も拝んだ神様ってことよね!!すごいよねーー🐨!!

2日連続で行っちゃって、とても親切にしてくださった本能寺のスタッフの皆様に感謝。。。

本当に楽しすぎるいい思い出と勉強になりました🐨

 

関連する人物のお話を載せておきますので、是非是非読んでみてください。

それぞれにちゃんと信念があって、ドラマチックな人生です!↓↓

 

京都旅は本当に楽しくて楽しくて、時間と体力があったら、もっともっといろーーーーーーんな所行きたいです!!

他に訪れた場所は、二条城、西本願寺、東本願寺、新撰組の屯所や、壬生寺等です。

TVなどの画像も見易いけれど、やっぱり自分の目👀でみると全然違いました!
刀とか特に。。。

心が揺さぶられる幸せな京都旅でした。

 

はー、もう1回行きたい🐨❤

 

🐨今までの史跡旅も良かったらご覧になってください↓↓

yurizo